平成22年5~8月 「歴史講座」~江戸時代の米沢を歩く~

「歴史講座」~江戸時代の米沢を歩く~

米沢市児童会館では、全4回の「歴史講座」~江戸時代の米沢を歩く~を開催しております。
5月29日(土)・6月26日(土)に1回目と2回目の講座が行われました。
この講座では、江戸時代(1725年・享保10年)と現在の米沢の地図を見比べて、昔と今ではどのように町が変わっているのかを調べていきます。
その様子をご覧ください。

第1回目は、現在の上杉神社周辺の地図に色えんぴつで昔の道路や建物を書き込みました。
昔のお堀は今よりもずっと大きいようです。実は、今建っている大きな建物の場所は昔はお堀だった…ということもありました。

  

  
第2回目は上杉神社から少し東に行った所の地図を調べて、前回と同じように色えんぴつで昔の道路や建物を書き込みました。
昔の地図を見てみると、今と違ってお城へ真っすぐ行こうとしてもなかなか行けず、何度も曲がり角を曲がらなければなりません。
それは、敵から攻められた時に一気にお城へ来させないように、わざと道をせまくしたり曲がり角を多くしているからだと分かりました。

  

  

さて、いよいよ町歩きに出発です。これまでに作成した地図をもとに、江戸時代にあった道を歩いてみましょう。
3回目の7月17日(土)と4回目(最終日)の8月28日(土)に、上杉神社周辺を散策しました。

上杉神社にある、上杉謙信公の御堂跡。現在は石碑が立っています。

                              

伝国の杜のこの辺りには、お城の正門がありました。現在は広い歩道になっています。

                              

 お城の正門へ続くこの細い道は、江戸時代からあります。昔は、もっとずっと幅の広い道でした。

                              

 その細い道の途中にある水路は、直江兼続公によって作られました。現在も水が流れています。

                              

 細く、クランク状になっている鉤(かぎ)の手の道。現在でも米沢のあちこちで見かけます。これは敵から攻め込まれた時に一気にお城まで来させないようにするため、わざと道をせまくして曲がり角を作り、進軍速度を遅らせるために作られました。
車社会の現代では通りづらい道ですが、その昔は人々の生活を守るために大事な役割を果たしていたのです。

                              

 旧二の丸跡。木が生えている場所とその右側には高低差があり、当時の面影を残しています。

                               

 伝国の杜の裏のこの辺りは、江戸時代には鉄砲の火薬の原料を保存しておく蔵がありました。
また、お城の近くでもあるので比較的身分の高い武士が住んでいました。

                 

江戸時代には、この辺りに道がありました。
この場所は現在は建物の敷地になっているので、道路ではなくなっています。
                         
                

中国から伝わった、「庚申信仰」のお堂。現在はありませんが、昔はこの場所に「蓮性院」というお寺があったそうです。

                 

皇大神宮の前を通って行きます。昔はこの辺りに「金蔵寺」というお寺があったそうです。

                 

 東寺町の通り。ここの道には、お寺が何軒も建っています。城下町の東側を敵から守るために作られました。お寺の場所はなかなか変わらないので、江戸時代にもこの道はありました。
その頃は「城下町には八つ以上の宗派のお寺を置くこと」という決まりがあったので、いろいろな宗派のお寺が道路に沿って並んでいます。

                

大町のこの交差点は、江戸時代には高札(こうさつ)が出されました。幕府や藩からの命令を木の板に書いて立て、町の人々に知らせました。

                

写真の正面には伝国の杜が見えています。お城の正門へ続くこの道を通って、児童会館へ戻りました。

                

実際に町を歩いてみると、江戸時代と現在とでは道が大きく変わっていることがよくわかりました。
現在と江戸時代では、それぞれの道路事情がまったく違います。現代では車が通りやすいように広くてまっすぐな道が多く、江戸時代では敵の軍隊をお城へ早く近付けさせないためにわざとせまく曲がりくねった道を作り、お城まで一直線に行けないような町づくりがなされました。
細い道を見つけたら、もしかしたらそこは江戸時代からあった道かもしれません。通りにくいなと思うかもしれませんが、江戸時代ではそれは町を守るために必要なことだったのです。お城を、城下町の人々を守るために昔の人々が知恵を出しあって作られた町。それが城下町米沢です。
時代とともに町づくりも変わっていきますが、こうして昔を思いながら町を歩いてみるのもいいかもしれません。新しい発見があるかもしれませんよ…?