平成23年7月16日「歴史講座~江戸時代の米沢を歩く“城下町南部の巻”」
歴史講座
*コース=児童会館を出発 ⇒ 餐霞館の前を通り西に ⇒ 御膳部町通りに出て南に ⇒ 途中、馬場ノ町を眺め、直角に曲がり膳仲町通りへ ⇒ 南谷地小路に入り、元中馬口労町を通り、山形大学工学部前の大通りに出る ⇒ 山形大学工学部の敷地内を通り国指定の建物を見る ⇒ 山形大学工学部東側の道路を歩く ⇒ 主要地方道米沢猪苗代線に出て雲井町通りへ ⇒ 黒川町通り ⇒ 南町下通りから北に歩き「愛染明王」へ ⇒ 神明片町を歩き「庚申堂」へ ⇒ 庚申堂から西へ向かう ⇒ 主要地方道米沢猪苗代線に戻り北へ ⇒ 伝国の杜南側の道路角で直江兼続屋敷跡を見る ⇒ 児童会館へ 約1時間40分ほどの行程。
*児童会館を出発し、餐霞館方面に歩き、御膳部町通りへ

さあ、出発。でもかなり外は暑い。水筒・タオル持参でテクテク歩く。
*御膳部町通りの途中、東西の道路「北谷地小路」にて
ここから南が沼のような湿地帯であった。伊達正宗が18歳の時、馬場で足を骨折、という記録があるが、おそらくここの湿地帯であろうと思われる。直江兼続のとき、山から客土を持っ てきて埋めた。もう少し南に行くと「馬場ノ町」、馬のトレーニング場であった。のちに馬場は、米沢警察署から米沢東高校もテニスコートまでの南北に移った。
北谷地小路に入るところで、湿地帯等の話を聞く。

*この道路から「山当て」として“兜山”が見える。
「山当て」とは、第1回目にも書きましたが、開拓時代に道路を造るとき、目印にしやすい山の頂上を目標にして直線的に計画したもので、米沢市の道路は“兜山”を目標に造られた。
兜山(かぶとやま)が道路からまっすぐのところに見える。

*膳仲町通りから南谷地小路に向かう途中
“うこぎ”の塀を見つける。実になって食べられるものを作るようにと奨励されたのが、今も残っている。
うこぎ(講師の方の手の下の垣根)

*元中馬口労町に入る
馬場が移ったことにより、ともに馬口労も移っていったので「元」と付いている。


*山形大学工学部
それまで町並みであったが、明治になって、現山形大学工学部の前身である“米沢高等工業学校”となった。なぜ町並みをそくっと移らせたのか?

山形大学工学部前の道路歩道に史蹟“林泉寺への案内”を見つける。この史蹟はコンクリートで造られている。車で走っていると目に付かないものだ。

同じく山形大学工学部の塀に水流を見つける。山形大学工学部の前身“米沢高等工業学校”になる前の町並みの名残なのかどうか?
山形大学工学部敷地内に流れている水流

国指定の山形大学工学部校舎

米沢に住んでいながら、普段じっくりと見たことがないのだ。

*山形大学工学部前の道路向かい「郷社一宮神社」
神社の格は大きく「官社」と「諸社」に分けられ、「諸社」の中でも「府県社」「郷社」「村社」に分類される。ここ一宮神社はその中の「郷社」。なお、上杉神社は「県社」に格上げされている。

*山形大学工学部と主要地方道米沢猪苗代線との間の道路
この道路は江戸時代もあったが、山形大学工学部側はお堀であった。途中、道路が曲がりくねっている。これは敵を混乱させるためにと、わざと曲がった道路を造っている。また、お堀は山形大学工学部の南側敷地で終わっている。
道路に入る角のところで説明を聞く。

曲がりくねった道路

左側の道路右端でお堀が終わっていた。

*主要地方道米沢猪苗代線の七軒町通りに入る
ちょうど南米沢駅に向かう少し曲がりくねった道路は、江戸時代は直角に曲がっていた。車社会になっても、完全に無くさず、ある程度城下町の名残があるところ。
日陰の涼しいところで説明を聞く。

わかりづらい写真だが、昔は直角に曲がっていた。

*南米沢駅に向かう雲井町通りを歩き、黒川町通りへ
ここの道路は高低差がはっきりとわかるところ。南部小グランドでは海抜250m、黒川町の途中で257mであるから、高いところで7m強も高低差がある。結構な高低差である。
黒川町通り:江戸時代はこの通りの真ん中に水路が走っていた。昭和8年まで残っていたが、車が走るようになって埋められた。

*黒川町通りから南町下通りに入り、途中から北に行き、親和乳児園脇の“愛染明王”を見ながら北の方向に向かう
南部小入口の角で:ここ40年間で一番地盤沈下したところ。27cmも下がってしまっている。
愛染明王前で

我々は日陰を、でも隣の南部保育園の園児は暑い中、元気に遊んでいる。

ここが地盤沈下27cmのところ。

*南部小東側の神明片町通り
南部小側はお堀であり、東側は町並みであった。東側の方を見ると、地面が高くなっているのがわかる。
下の図の真ん中辺りが高くなっている。

*神明片町通りの北側端の「庚申堂」
全国にある「庚申塔」だが、「庚申堂」としてお堂があるのは全国的にもまれでめずらしいとの説明を聞く。
「庚申塔」とは、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰にもとづいて建てられた石塔のこと。庚申信仰には“人間の体内にいる三尸(さんし)の虫が、寝ている間に庚申の夜に天にのぼって、天帝にその人の悪事・罪過を報告しに行くため、命をちぢめられる、という考え方がある。それを防ぐため、60日ごとにめぐってくる庚申(かのえさる)の日に、夜通し眠らないで天帝等を祀って宴会などをし、夜明けとともに解散していたようです。
神明片町通りを北の方向へ

庚申堂

庚申塔


*庚申堂から西へ歩く
途中、南部小を見ると、塀の高さが相当あるのが見える。堀の手前がお堀だったことがわかる。

拡大すると、高低差がはっきりとわかる。

*主要地方道米沢猪苗代線に戻り、伝国の杜の南側道路の角、直江兼続屋敷跡を見る。

終点の児童会館へ。お疲れ様!!

※かなりじりじりと暑い日で、1時間40分も歩くと、汗がすごかった。参加者の方々は事前に連絡していた持ち物として、飲み物等を準備していたので良かった。3回目であるが、今回も、いつも車で通りすぎていたところに、歴史の足跡がたくさんあることを知り、歩くことの大切さを感じた。
※次回は、歴史講座最終日
日程:8月27日(土)10時~12時
場所:松が岬公園周辺・門東町・大町を歩き、現在米沢市で計画中の「(仮)まちなか歴史公園」整備について紹介。未来の米沢がどうなっていくのか、題して「米沢の景観を考える」





